お昼放映していたウィーンでの小澤征爾さんインタビュー番組がとても見応えあった。インタビュアーは有働さん。親しみやすい人柄とわかりやすい言葉を使うアナウンサーですね、大口開けてあははは!と豪快に笑う彼女の「普通の人」キャラはNY赴任前 朝のニュースを担当していた時から好き。
フレッシュな食材があるから好きだというショップや音楽ホール内の勉強部屋など小澤さんのなじみ深い場所を紹介しながらお話を展開していくという構成で、声のトーンや身振りなどから小澤さんがとてもリラックスしながら話されてるのが伝わり、なにより本音を語られているのがよかった。店員さんと「コンニチワー」とかおどけながら挨拶をしていたりして、チャーミングな一面を垣間みれた。
ドキュメンタリーやインタービューの質の高さはさすがだなあ NHK&有働さん、GJ.

いくつも響く言葉があったが、その中でも特にいいなと感じたものをメモした。

指揮者とは…
作曲家が書いたスコアを読んで、この曲をわたしはこう解釈するからこう演奏するよ、と決める人ですね。作曲家自身の境遇や心境やその曲が作られた時代背景などすべて勉強します。
プロの演奏家だってそれぞれ作曲家について勉強しその曲に対する解釈を持ってるから、80人のオケならそのメンバーの7割が賛同しそうな解釈を探っていく。じゃないとバラバラになっちゃいますね。
つまり、今回の演奏会は指揮者である自分の責任でこう解釈するからこう演奏しようねと決めて引っぱっていく人ですね。
しかし指揮台に立ってああだこうだと言葉で説明しまくる指揮者をあまりいい指揮官だとは思えない。それは自分の考えの押しつけと変わらなくなってくる。棒を振った瞬間に伝わる、演奏家に息づかいを感じてもらえる、そういうのがよい指揮者だと思いますね。
一方でみんながみんな同じ考え/演奏であるのはおかしいし不健康。言葉だって同じで,人の使い方や声のトーンで伝わり方が違うのと同じですね。
例えば オーボエのソロがあったとしましょう。棒を通じて「あなたはどう吹きたいの?」と尋ねる。ソロ奏者の解釈を最大限尊重するのも大事です。個は大事ですよ。その音と周りの演奏家の音の調和を合わせていくのも指揮者の役割です。そういえばカラヤン先生が指揮者はコンダクトじゃなくインバイトだよと言ってました。「演奏家それぞれの考えがあるけど、なんだかわからんけど指揮者の棒に合わせちゃう、そういうのがいい指揮者なんだ」と。そういうのって人間性もあるのかもしれませんね。

クラシック音楽って本当に規則や規律が多くて、それは細かな音符だったり音の大きさだったりするわけだけど、若いときはそのリズムや規則に合っているかにすごく縛られていました。16分音符を吹くパートと伴奏が合ってるかとか音の高さはオッケーかとかね。でも年を経て楽員とお互いを知り信じることができるようになって、言葉じゃなく本当に信頼ができたらそれはちがうなあとわかりました。リズムや規則が合ってるかより、深みや広がりに対する思いが合っているかの方が楽員にもお客さんにも断然音に対する満足度が高いんですよね。自分が信用すればみんなが信頼してくれる。それは年と経験を重ねてわかったことです。

語弊があるといけないからあんまり言えないんだけども、コンクールは減点法だから「楽譜通りにちゃんと弾けてるか」「間違いやミスはないか」が主眼となるわけ。ぼくはその考えには反対なんだけど。テクニックで評価されてすごい!ってなっても3-4年もすれば潰れちゃうことが多いんです。それよりも作曲家がスコアに書いた解釈や音の意味に対する理解力があるかの方が難しい。感情も同じです。若い人で伸びてくるのは、自分の経験じゃなくても他人の経験を聞いて同化し理解できるそういう人です。すごく不思議なんだけどそういう人っていますね。

ぼくは国籍が違ったり言葉が通じなくても、悲しいとか寂しいとかその逆の感情が音で通じるというのが絶対あると信じていて、それをお客さんや演奏家と共有したいから音楽家をやってるんですよね。こういう仕事って長い勉強が必要なんですよねえ。

一年に一度、サイトウキネンのメンバーと集まって演奏会をするんだけど、その前日は楽しみや責任感などのプレッシャーでいまだに前日の夜は眠れません。73歳になった今でも。それくらいワクワク感があるんですよね。