暑さに負けた一日。
昼間は ヨーロッパ旅行先での登山ログを拝見し かっこええ、なぜ毎年こんな長期間旅行に行けるのか!などと感心したり(たぬたぬのスイスとアルプス)つい昼寝など楽しめばそれこそあっというまに夕方でもはや夜。嗚呼。ヨーロッパいいなあまた行きたいナー。スイスの山に放牧される牛になりたい。


夕方スーパーまでの道すがら旅行中の一コマを思い出した。グリンデルワルトのカフェでお茶をしたときのこと。窓辺にお花が飾られた明るい素敵なオープンカフェで家族連れやご夫婦の落ちついた客層が気に入って店に入ると ドイツ語の挨拶で迎えてくれた。ツェルマット周辺はイタリア語だったがインターラーケンやグリンデルワルトはドイツ語を話す人が多いようだ。窓際とは逆の奥まった静かな席に通してもらう。厨房のすぐ横。
濃いめのカプチーノは美味しく絶品で、特に急ぎもないからのんびり店内の様子をうかがいながらいただいた。すぐ後ろでスタッフが何か食べ始めたのに気づいた。ぜんぜん構わない、たぶん休憩中だったのでしょう。しかし店内窓際には明らかに空席があるし店の中央も余裕がたっぷり、なのになぜ我々は厨房に一番近い奥の席だったのか。アジア人は自分たちだけだった。だからかもしれない、後でそう感じたのだった。

個人だったので日本人ツアー客が多くいるエリアを避けて行動したのだけれど 今思えば数回こういった違和感に遭遇した気がする。もしかすると気のせいかもしれないが、ドイツで1回スイスで2回。スイスのCOOPでレジのお姉さんの対応は明らかにおかしいと思った。ヨーロッパの階級社会を知ればそれもなんとなくうなづける。今冷静になって思えば。英語が日常会話程度少しできるとかえってそういうことがわかる。英語が通じると分かると安心して打ち解けてくれる店員もいた。お金持ちや学会などで観光客以外の外国籍の人が多く出入りするエリア、ハイデルベルグサンモリッツではそんな風に感じた。地域によって自分に対する反応の違いみたいなものを随分感じた。
Mさんに尋ねてみるとそういうのよくあるよ、とのことだ(カナダはあんまりないみたい)。
この年になるまで単一民族国家である日本でのうのうと暮らしてきた。差別社会に関知せず鈍感に生きてきてしまったなあ。
スーパー途中散歩がてらそんなことを思い巡らせていたのだけれど、今目に見えてているどんなことも氷山の一角程度にしか過ぎないのかもしれないなーなんて思った。どんなことも表裏一体だなとも。