競い合うという遊びは、 おとなになってからも、遊びとしてではなく、義務のように仕事として続けさせられます。
いや、続けさせられるというより、自分から進んで「競争ゲーム」に見立てないと、動機が維持できないのかもしれませんね。人はどう見ているか知りませんけれど、ぼく自身も、男の子出身のおじさんですから、「競争ゲーム」で夢中になることは、いくらでもありましたし、いまでもその余韻はあります。

〜略〜

でも、「競争ゲーム」にしなくても、 たのしく遊ぶことはできるはずなんですよね。たとえば、コーラスやバンドみたいなもの。
合唱部やバンドが集まって、競い合うこともあるけれど、「負けねぇぞ!」というバンド活動もあるでしょうけど、 そういうの「なし」でも、ほんとは楽しいじゃないすか。十分に苦労もあるし、成長もあるし、楽しさもあります。 競い合いだけが、人を成長させるものじゃないですよね。
なんか、そういう例をさ、たくさん見つけていきたいもんだなぁと思ってるんです。競争したくない人間が「甘ちゃん」とは限らないし、競争とはちがう方法で、なにかを実現することもある。そういうことの例が、もっと知りたいですねー。
 
抜粋、ほぼ日・今日のダーリン/08.10.23

そこに面白さ、楽しさ、やさしさ、感激、感動、があるかどうか。というモノの見方や尺度は自分の中に留めておきたいと思う。