完全なる証明

完全なる証明

今日お昼過ぎに届いた「完全なる証明」。半分は喫茶店で、残り半分は自宅で読んだ。ペレルマンの育った境遇や環境に加え、当時 旧ソ連の社会情勢や教育事情が盛り込まれていて興味深い。ユダヤ人であったペレルマンが大学に進学する方法、それは数学オリンピックの代表に選ばれること…。
自分がこの本を手に取った理由は、数学界で7つの難問の一つに数えられるポアンカレ予想を証明したグレゴリー・ペレルマンはどういった人物なのかしら?それほど素晴らしい功績をあげてなぜ栄誉であるフィールズ賞(100万ドルの賞金も)を辞退したのか?というふたつの疑問からでした。ペレルマンが少し変わった人で自分の世界に生きていて、自分が納得できる規則にしか従わずそして大変純粋な精神を持つ人だということがよくわかった。著者によるペレルマンの近親者また数学関係者に向けた入念で丁寧なインタビューによりペレルマンの人柄と自分の疑問はおぼろげに見えた。しかし読み進めるほどペレルマンに申し訳ない気持ちになってきてつらくなった。周りと一切の連絡を絶つ本人にとって、こういった本は「もう放っておいてよ」のなにものでもない気がして。
ニューヨーカー誌のジャーナリストに「自分が数学界と決別しなければいけなくなったのは、フィールズ賞を授与させられそうになったから」との語りなどで彼が決別したかったのは組織(つまり数学界全体)にあることがわかる。自分の話をわかろうと耳を傾けてくれる個ではないことがわかり少しほっとした。
証明を解いたことで、行き過ぎた取材合戦や野心や幻滅・矛盾を生むだけの人間行動に遭う。「ビジネス化した数学界/ICM委員会」が彼が望む静かな環境を破壊していくことへの嫌悪があったんだろうな。あげく、自分はグレゴリー・ペレルマンではないとまで言い始める。数学が自分の世界すべてだったペレルマンにとって、数学と向き合う環境をその関係者によって壊されたことは、もはやその世界を捨てるしかなかったんだろうな。「人は委員会と対話するんじゃない。人は人と対話するんだ」の言葉通り、彼は自身の証明についてICM委員会に向けて講演することにもスペイン王から表彰も100万ドルの賞金になんの価値も見いだせなかったんだろう。
以下、訳者によるあとがきの情景もとても印象的。

2006年の夏(フィールズ賞辞退後)、ニューヨーカー誌のジャーナリスト2人がどうしてもペレルマンへの取材を、と決意して連絡の取れない彼を訪ねてロシアに出向く。メールの返事もなく自宅ポストにメッセージを残しても会えない。旅行にでも出かけているのか、と思い切って母親のもとを訪ねてたところそこにペレルマンがいたのだという。電子メールもチェックせず、郵便受けも1週間見ていなかったそうで、突然現れた2人に驚いた様子だったが

「友だちがほしいと思っていたところでした。友だちは数学者である必要はありません」

そう言って、ペレルマンサンクトペテルブルクの街を4時間もかけて案内し、オペラ座で開かれていた声楽コンクールを一緒に聴きにいったのだそう。ペレルマンはオペラが大好きで、いつも安い席で聴いているのだという。舞台は遠くて見えないけれど「でも、この席の音響は最高なのですよ」と彼は言った。
この機会を最後にして、今なおほとんどの人と連絡を絶っている。‘あまりにも才能に恵まれ、あまりにも孤独(第12章)’。最後に描かれた一節を読んで、ほとんど泣きそうになった。


少し時間をおいてまた読み返そう。